2015 7 スマホとハルキ

長い間つかっていた携帯電話(ガラケー)が、あるボタンが効かなくなったり、ボディの外枠部分がポロリと外れてしまったりして、とうとう寿命だと思えたので、買い替えのためケータイショップに行きました。ガラケーは再来年に生産中止となるらしいので、当然スマホへの機種変更を店員は薦めてきます。僕はそうしたくないのですが。


「誰にも進化を選り好みすることはできん。それは洪水とか雪崩とか地震とかに類することです。やってくるまではわからんし、やってきてからでは抗いようがない」


これは以前読んだ村上春樹の『ハードボイルド・ワンダーランド』に出てくる老科学者の言葉です。この台詞が頭に浮かんだのは、ちょうどいま村上春樹の別の小説を読んでいたタイミングだったのと、同じ作家によって昔書かれたこの台詞が、この買い替えの状況をうまく説明してくれているように感じて、ふと思い出したからです。


僕の本当の希望は軽量で小型の折り畳み式ガラケーでした。軽く小さい方が携帯しやすいし、すこし恥ずかしい話ですが、なにか連絡の必要があるとき、素早くポッケからケータイをスッと出し、パカッと開いてスチャッと構える一連の動作は、西部劇のガンマンみたいで気に入ってました。スマホは重さもサイズも文庫本なみで、落とさないよう注意して、ポケットの中でしっかり持ち、恐る恐る出さなくてはならず、その宝物的存在感が気に入りません。けれども生産中止という事は、スマホ以外に選択肢はないのです。やむなくスマホに機種変しました。


「高度資本主義はあらゆる隙間から商品を掘りおこす。幻想、それがキイ・ワードだ。売春だって人身売買だって階層差別だって個人攻撃だって倒錯性欲だってなんだって、綺麗なパッケージでくるんで綺麗な名前をつければ立派な商品になるのだ」

「要するにね、僕が言いたいのは、必要というものはそういう風にして人為的に作り出されるということだ。自然に生まれるものではない。でっちあげられるんだ。誰も必要としていないものが、必要なものとしての幻想を与えられるんだ。簡単だよ。情報をどんどん作っていきゃあいいんだ。住むんなら港区です、車ならBMWです、時計はロレックスです、ってね」


これは『ダンス・ダンス・ダンス』での主人公や、その友人五反田君の言葉です。スマホもそういう幻想のなか登場したのかも知れません。ガイドブックには、70万作以上のアプリやゲームなどが楽しめます、と書いてあり、電源を入れればユニークなアイコンがたくさん並んで現れます。慣れないタッチパネル操作に手こずりながらも、仕事上天気が気になる僕は、天気予報のアプリをいくつかインストールしてみました。その結果、天気予報のほか、雨雲の動き、月齢、電力使用量なども知ることができるようになり、あっという間に天気の情報通となりました。すこし得意気な気分になってしまったのも事実ですが、その情報が実際に役立つのかは分かりません。


「そして世界に存在するあらゆる事物と事象がその網の中にすっぽりと収まっていた」

「隅から隅まで網が張られている。網の外にはまた別の網がある。何処にも行けない」


これも『ダンス・ダンス・ダンス』の主人公の言葉です。網とは「資本の網」、資本投下を比喩した言い方で、主人公は高度資本主義社会のシステムについて語っています。この言葉を参考に考えれば、僕たちはかつて情報・通信業界の放った網に捕獲されるように、携帯電話の所持を強制され、月一万もの料金を徴収され、そしていまケータイ+パソコンの多機能端末スマホの所持を強制され、端末代をさらに徴収されています。すこし毒づくような言い方になりましたが、新しいスマホをただ嬉々としていじるような人にはなりたくないので、ちょっと文句つけさせてもらいました。