2016 1 年初のウソ

面白い恋愛映画やドラマには大抵、世間一般の常識や価値判断から外れながら、二人だけの世界にはまり込むカップルが登場します。恋愛感情が高ぶって、他者の介在しない二人だけの圏内に、突入する姿が描かれたとき、恋愛って大変と思いながら、その作品を楽しく鑑賞します。


最近ニュースを見ていると、女性タレントと男性ミュージシャンのスキャンダルがよく報道され、それを非難する世間の声が流されていますが、もし二人が恋愛関係にあるのなら、そういう男女が二人だけの会話で、オフィシャルな会見での釈明とは矛盾する、軽率な発言をしたとしても当然のことで、会見でのウソをとやかく言うのは間違いのように思います。他人は圏外という約束の、ひそかな会話であったなら、第一に非難されるべき人物は、矢面に立たされた女性ではなくて、その会話を盗んで売った人間と、買ってばら撒いた人間で、まずその行為の方が圧倒的に非常識なはずです。明白なプライバシーの侵害ですが、有名人なら仕方ないリスクと世間は考えているのでしょうか。有名になるのは怖いことです。


ぼくはきっとうそをつくだろう
おかあさんはうそをつくなというけど
おかあさんもうそをついたことがあって
うそはくるしいとしっているから
そういうんだとおもう
いっていることはうそでも
うそをつくきもちはほんとうなんだ
うそでしかいえないほんとのことがある
いぬだってもしくちがきけたら
うそをつくんじゃないかしら
うそをついてもうそがばれても
ぼくはあやまらない
あやまってすむようなうそはつかない
だれもしらなくてもじぶんはしっているから
ぼくはうそといっしょにいきていく
どうしてもうそがつけなくなるまで
いつもほんとうにあこがれながら
ぼくはなんどもなんどもうそをつくだろう

(谷川俊太郎「うそ」)


ニュース番組のキャスターも、世間の声に沿うような批判的意見を述べてましたが、賑わう話題を提供してもらった訳ですから、ホントは心のどこかで二人に感謝しているかも知れません。僕ももし自分がキャスターだったら、自身の立場を考えて、ホントは有り難く思いながらも、「会見はウソだったんですね、けしからん」と、きっとウソをつくでしょう。