今月初めくらいの話ですが、所用で自転車に乗って先を急いでおりまして、ある角を曲がったところ、唐突に江戸っ子風な男たちに囲まれてしまい、彼らは汗に濡れた恍惚な表情を浮かべていて、さらにソイヤ!ソイヤ!とか叫んだりしてて、何事かと思ったら後方から、わっしょい!わっしょい!とお神輿が近付いて来て、つまりお祭りの一群に巻き込まれてしまったという事態だったのですが、てめェジャマでぃッといった目で睨まれながら、なんとかその男衆をかきわけて抜け出し、道を引き返してその先の角を曲がったところ、今度は江戸っ子風な女子供や老人が道を塞いでいて、子供らがキャッキャッと走り回る脇で、まだ日も暮れぬというのに酔っ払ったおじいちゃんがフンドシをモロ出しで横たわったりしてて、ベルを鳴らしつつ通過しようと試みても、てやんでぃ今日は無礼講でぃッといった感じの反応で道が空かずまた引き返し、結局遠回りせざるを得なかった訳ですが、ズバリ言うと公共の場所での突然のソイヤや無礼講は、お祭り気分でない者にとって、ビックリしちゃうし迷惑であります。
しかしながらその数日後の夕方近く、自宅の最寄り駅から家への帰り道に、ふとドンドンドコドコと聞こえたので、その方角へ向かってみると、祭りで賑わう神社が見えて、境内はあふれる江戸っ子衆、出店、太鼓を叩く一団という風景で、中に入ってそのドンドコという和の響きに少し耳を傾け、しかしそれよりもイカ焼きの匂いに心地良く鼻を打たれたりして、結局イカ焼きを買って食べ、日も暮れぬというのに缶ビールも買って飲み、ホロ酔いになって帰宅しました。
僕はいったん飲み始めるとそれ以降、酒でしか水分を摂らなくなってしまうので、その日も帰宅途中にまたビールなど買って飲み始め、ついでにここで告白いたしますと、近頃の僕は酒に呑まれ気味であり、その呑まれた時の心理というのは心理学的には反動形成とかいうのかも知れず、つまり痛飲は体に悪いし金も無くすし控えなきゃと思う程、逆に飲みたくなったりして、ひどい夜など死ぬ程飲んじゃえと一人飲みまくってベロンベロンになり、眠くなって布団も敷かずに畳に転がり、すると体の下でパキパキとCDのケースとかが割れる音がして、あ、やべぇと少し横にまた転がって、電気消すの面倒くせぇや、ああ頭痛いな、腰も痛い、煙草吸いすぎて肺も痛いとか思ったりして、もしかしたらこのまま寝たら寝っぱなしで、俺は息を引き取るんじゃないか、仮に大丈夫だったとしても近いうちに俺は死ぬんだ、などと考えたりしだし、さらに、よし、死ぬのは分かった。だからこそ死ぬまでの自分の未来は精一杯生きたいとか願い祈りつつ眠りに落ちて、けれど日の出前くらいに目が覚めてしまい、体は寝てるのに目は冴えて、それからコントンとした不安やら妄想やらにさいなまされ、グッタリしたなか朝を迎えるという、でもまあこれは痛飲し過ぎたひどい時の話で、祭りに寄り道したその日の夜も、深酒をするつもりはなく、買ったビールを飲み干してから、あとちょっとだけ飲んで終わりにしようと、一本だけ買いに家を出たのでした。
酒屋へ向かうその途中、またドンドンドコドコと神社の方から聞こえて来て、今度はその宵闇に響いた太鼓の音が、酔った耳を心地良く打ったので、再び祭りへ向かってみると、境内では江戸っ子の女子供が輪を作り、ドンドコに合わせて踊ったりしてて、その中にハッピやハチマキ姿の外人の子供が少し混じっていて、金髪にブルーの瞳、あるいは黒い肌の三つ四つ位の子供らが、彼らなりに音に合わせて体を揺らし、僕は別に子供好きではありませんけれども、その子らのカワイらしさはちょっとスゴいものがあり、見飽きる事なく眺めてしまって、さらにドンドコという音は腹にも響いて気持ち良く酔い、和太鼓で踊る外人の子に、国境を越えて羽ばたくイメージ、人間の、人類の子供といった様な、大きくて豊かな印象を、その小さい体から受けたのでした。
その翌朝目が覚めて、酔った次の日の起き抜けは逆に冷め切っているものであり、ゆうべは僕もお祭り気分で、どこか感傷的になってたんじゃないかと考え直してしまったのですが、しかし確かにあの子供たちは大きかったという印象は残っていて、それは国際的とかいう事よりも、子供から連想される大きな未来、豊かな未来、そして未来に向かう人間にこもった生命力など、壮大なイメージにつながる印象で、だからこそ人類の子供といった様に、大きく見えたのかも知れないと考えたのです。でもまあ単に、和風な外人の子が珍しくてまず目を引かれた訳だし、ちょっと大げさ過ぎる気もするのですが。
|