2005.6

 僕はあんまりテレビは見ない方ですが、しかしいったん見始めるとダラダラ見てしまう方で、先日そうやってゴロゴロしながら見た番組は、あんたは土星人やら火星人やらおっしゃる、人気占い師オバサマ先生の特番で、ちなみに僕は占い等は信じない方ですが、しかし結局終わりまで楽しんで見て自分の星も知ったりし、だけど水星人らしい僕の心に、何か抵抗感のようなものも生まれ、それは心の叫び風に申しますと、何言ってんだ!俺達みんな地球人だ!だまされないぞ!というような反発心であり、さらに言えばもし仮に、占いで運勢良しとでれば当然期待を抱くだろうし、期待というのは膨らむ一方でありますから、少しでもその通りに行かないと期待した分ヘコむでしょうし、運勢悪しとでれば気分害して、元々うまく行くはずの事もなんだか失敗しそうだし、やはり吉凶や運命は自分で見定めたいと、そういう風に考える僕は、夢のない、地球人であります。

 いわゆる人生の節目、例えば就職結婚、退職離婚、その他大事な決断をする際に、占いには頼らないというのが夢のない地球人の生き方なわけですが、その夢のないというのを小難しく言い換えますと、精神的より物質的に、目に見える現実に即して考えるという事でしょうから、分析力や決断力など、優柔不断とは真逆の強さが必要です。だけどそうやって生きたい僕の心に、何か不安感のようなものも生まれ、それは色々な事に迷いがちという、自分の性格の自覚から来るもので、日常の些細な局面でも、例えば缶コーヒーを買うときなんかに、ボスかファイアかジョージアか?微糖?ブラック?いやカフェオレか?いやたまにはココア?いやいやここは我慢でジュース代節約?……という具合に、自販機の周りをウロツキまわる、ちょっと変人じみた迷い人の一面もあり、黒だ!白だ!とは真逆の弱さも持ち合わせてしまっています。

 しかし、誰でも自分に対して客観的になり、いったん突き放し考えてみた場合、多少なりとも迷う気持ち、グズグズ感が、生じ始めるのではと思います。その普遍的グズグズ感を明らかにするために、ここで、二十代後半の婚約中のOLという人物を設定し、その心境を想像し、表してみたいと思います。
「(夜中。部屋に一人。少し酔っている)……彼は私を運命の人って言ったわ。あの日あの時あの場所で、二人出会ったのは必然だねって。でも本当にそうかしら。私はみんな友達がお嫁に行っちゃって、早く私も行きたいと思ったから、出会いの機会をなるたけ作っていて、彼はそんな時に知り合った数人の中で、いちばんマシなオトコというのに過ぎないわ。ひどいこと言ってるかしら。でも彼だって本当は意中の人は他にいて、そのコが脈なしと悟るやいなや、急に私に愛想良くなったのよ。いい加減だわ。……でも彼のことは好き。だけどこの気持ちだって今は高まっているけれども、高まったものはいずれ落下する定めなわけでしょ。そのうちだんだん冷えていくんだわ。もしや、もしや彼と結ばれずにいれば、もっとより良い人と出会えるのかもしれないし……」

 なぜか言葉遣い古めな人になってしまいました。それはさておきこのマリッジブルーレディーも、いつまでも迷ってるわけには行きませんし、彼女に限らず全ての迷える人々は、余程ひまではない限り、時間に追われ、決断しなくてはなりません。ですので考えるだけ考えたなら、あとは自分のカンのようなものに頼るしかないのではと思いますし、僕も最後に当てにするのは、結局自分のカンであります。でもこの第六感であるカンというのは物質的ではなく精神的なものですから、占いと近い種類だと言えなくもなく、そう考えれば占いを嫌って全否定してしまうのも、どうだろうかという気もし始めます。とりあえず、僕の星をもう一回ちゃんと調べて見たところ、水星人(-)でした。