2005 3 夜勤のこと

 私事で恐縮ですが三月は僕の誕生月でして、しかも三月下旬のぎりぎりの早生れで、同級生の友達間では年を取るのが最後の方なので、誕生日を迎えるまでは、同級だけど本当は俺は皆より若いぜという、ちょっとお得な気分を味わえなくもないのですが、三月が過ぎて四月になると、早速四月生まれの友達はひとつ年を取るので、変な計算ですが、三月の頃の僕と四月の友達はふたつ年の差ができ、新年度になると自分がなんだか急に二歳老けちゃったような気もしないでもなく、結局お得でもなんでもないのですが、そんなことを思ってしまうのは、若いって素晴らしいみたいな一般的な考えからで、さらにその考えが基づいているのは、限られた自分の一生の時間において、ひとつ年を食うことは、人生をまた一年食べ終わったことであるという、軽いショックのようなもので、幼い頃若かりし頃の素直なハッピーバースデーとは、違って来ざるを得ない感じであります。

 僕が若かりし二十代前半の頃、夜勤の短期アルバイトで、ある有名運送会社の荷物仕分けをやった時の話ですが、そのバイトは噂通りにかなりハードで、ロッキーのテーマやら永ちゃんやらが流れる倉庫の中で、怒鳴られ、あおられ、腰を痛め、身も心もヘロヘロになり、でも最終日まで耐えその明け方になり、グッタリしながら倉庫を後にし、最寄り駅前の牛丼屋に行くと、僕と同じ仕事を終えた疲れきった若者二人、一人はドレッドヘアーのミュージシャン風、一人は辰吉丈`一郎風のボクサー風、仕事中に話したことはなかったのですが、解放感からか言葉を交わし、会話が弾み、ドレッドヘアーがビールを追加注文し、丈`一郎風が続いて冷酒を、僕はじゃあとお新香を注文し、三人で朝っぱらから牛丼屋なのに酒盛りを始め、疲れた体にすぐ回り、酔ったドレッドは赤い目で、いつかレゲエのバンドを組んで、歌が売れて儲かって、その金でレゲエバーをやり、店が流行ってさらに儲けて、その金でジャマイカへ移住して、ガンジャ(大麻)を吸ってゴキゲンに暮らすという、自分の夢を熱く語りだし、その熱さに打たれた浪速のジョー風も、いつかボクシングジムへ通い、プロになって勝ち進み、世界チャンプになり二階級くらい制覇して、引退して次は映画俳優に転身、共演した女優と結婚するという、大きな夢をうっとり語り、酒に酔った僕等は前途洋々という心持ちで、“若さ”にも完全に酔っ払い、それから店員に追い出されて店を出て、結局お互い名前さえ知らないまま別れたのですが、あれから月日の経った今、いくら気分良く酒を飲んでも、若いゆえの高揚みたいな、あの時のようには酔えないわけで、それはこれから先も同じだろうし、そう考えると寂しくもあります。

 青春は太陽がくれた季節♪だそうだし、やはり若いって素晴らしいのでしょうか?しかしまた年を食った僕は、ここで考え方を屈折させて、美しいとされる“若さ”について、イチャモンをつけようかと思います。先程の話、牛丼屋においての朝ですが、本当に青年同士の美しい、素敵な時間だったんでしょうか?厳しく言えば、僕等は自分の限界など問題にせず、思いつくまま欲張りに、実体は妄想である夢を語って、気持ち良くなってたに過ぎないのではないでしょうか?牛丼屋で朝っぱらから熱くなった僕たちは、周りの客との温度差激しく、店員さんから見れば迷惑であり、バンドで成功ジャマイカでガンジャ、チャンプになって二階級制覇など、自分の位置や身の程を無視した、まさに言いたい放題で、ヤングウイルスによる熱病にかかった、青くさいみっともない酔っ払いであり、話の中身も実質は空虚で、だから本当は若さとは美しさではなく、みっともなさかもしれません。

 あり得ない仮の話ですが、数十年後街角とかで、ドレッドくん、ジョー風くんにバッタリ会って、うわっ久し振り!ちょっと飲もうかってことになって、三人ともあれからやるだけやって自分の限度を思い知ったオッサンになってて、ドレッドくんはドレッドヘアーじゃないどころかハゲあがってるかもしれないし、丈`一郎風は年齢的には輪島風だし、僕なんかは酒タバコによるガンの初期段階で(まだ知らず)死期が実はせまってたりなんかしてて、そんなオヤジトリオがあの牛丼屋の朝のことを思い出して語り、酌み交わし盛り上がるとき、話の中身は空っぽじゃないし、美しいとは言えないにしても、みっともなくは決してないと、思ったりもするのです。