2006 12 ボクシングについて

 今月スポーツ新聞の紙面は松坂だインパクトだと賑わいましたが、僕はスポーツ全般に対しかなり興味の薄い方で、野球にしろサッカーにしろ、どのチームが勝とうが負けようが無関心であり、例えばプロ野球の優勝チームなんかの、祝賀会場でのビールかけの中継における、プシューッつめてーッ目が痛ぇーッと浮つく選手たちの姿や、あるいはサッカーの中継で、勝利に湧く観客席なんかの、涙を流し肩を組み、感動をありがとう、オーレーと歌うサポーターの姿を見れば、ビールかけの場合は普通に考えてビールがもったいないだろうとか、オーレー♪の場合はサポーターが気持ち良く高揚している分の、それと同じ分量で、逆に俺はお前らを気持ち悪く感じるよ、といった風に、冷め切ってしまっている訳ですが、ただ僕にも例外のスポーツがありまして、それは今年三兄弟によって盛り上がったとも言える、「ボクシング」であります。

 じつは以前、プロボクサーで言えば畑山選手等が活躍していた頃の話ですが、一年間程ボクシングジムに通っていた事がありまして、もちろんプロを目指していたのではなく、実際に体験してみたい等の理由でジムに入門してみた次第で、そのボクシング体験の、まず最初の思い出を言いますと、入門したジムは元世界チャンプが会長をしている所で、その初日、ちょうど会長が暇だったのか、全く初心者の僕の指導に当たり、フットワークを教えられ、「重心は体の真ん中に。イメージとしては、股間のキン◯マに重りがぶら下がっている感じ」と言い、ぎこちなくフットワークをする僕のすぐ横で、「イメージ!キン◯マキン◯マ!」と熱心にアドバイス頂いて、元チャンプに直に指導され、率直に感激したという事であります。

 結局そのジムは家から遠かったので、近所にあった割と小ぢんまりしたジムに入門し直し、週三、四回ペースで通い始めました。ボクシングジムの雰囲気というのは何と言うか、非日常的なものがあり、半分以上が見た目怖そうなお兄さんであるジム生が、熱気でムンとする狭い場所に密集し、三分ごとに鳴るゴングに合わせ、シュシュッシュッとシャドーボクシングをしたり、ビシバシッズシッとミットやサンドバックを打ったりと、それぞれのトレーニングを激しく雑然とやっていて、初心者の僕は周りにちょっとビビッた部分もありまして、ちょっとではなく、結構ビビッた事もあったので言いますと、ジム内のリングで始まったプロ同士のスパーリングを見ていたところ、劣勢だった方の選手がパンチを鼻にモロにもらってしまい、ピューシューと勢いよく鼻血がほとばしり、「わわ、大丈夫かしら」と僕は思ったのですが、リングサイドにいたトレーナーは、「てめぇガードが甘いから鼻血出んだ!コノヤローバカヤロー!!」と選手を怒鳴りつけた事で、これは尋常な世界ではないなと、思わざるを得ませんでした。

 プロ志望ではない僕は、その尋常じゃない世界の住人だったともちろん言えないのですが、でもしばらく通い続けると、ジムに居心地の良さみたいなものを感じ始め、それはまず、ジムにただよう非日常的な空気を吸える事、そして基本的に一人でトレーニングするという、周囲に合わせる必要の無い事によるもので、ボクシングについて象徴的に覚えているのは、全日本新人王にも輝いた、ジムの当時一番の出世頭の選手の事で、なまぬるさとかを全否定するかの様な、トレーナーと激しく練習するその姿は、周りにいた僕らを圧倒してジムの空気を濃密にし、また試合を直前に控えた際には、ストーブの前で毛布をかぶって、一日かけて栄養ドリンク一本をちびりちびりと飲んでたりしていて、僕はその選手を通じてボクシングの中に、他のスポーツ選手に見られる様な、「チームのために貢献します」とか「ファンのために頑張る」とか言ってるのとは真逆の、自分のためという純粋さ、更に言えば、嘘くささの無さ、浮つきの無さを感じ、憧憬を持って、ボクシングに引かれていったのでした。

 しかしながら今年、僕のそのボクシングに対する印象を裏切る形で登場したのが亀田選手でありまして、何と言うか、普通に考えて言葉遣いは悪過ぎだし、試合前後のパフォーマンスは派手で、ケンカ祭りや!と浮ついていたし、その他、昭和スポ根アニメみたいなベッタリ濃い父子愛とか、ファイトマネーやスポンサーやグッズ販売で蠢く大金の気配とか、疑惑の王者と呼ばれたりとかの、諸々の事で話題をさらって、日本ボクシング界は今年、亀田選手周りだけ急に加熱して、奇妙な盛り上がりを見せた様に感じます。

 けれどもボクシングの真骨頂は、リング上での真剣勝負であると考えた時、これら亀田選手に関する全ての事は、“ボクシング”にとっては余計な事で、亀田選手のキャラクターもパフォーマンスも、お金の話も風評も、“ボクシング”に貼り付けられた邪魔なものと考えられなくもありません。問題にすべきはこの選手がボクサーとして優れているかどうかであります。

 今月の世界戦を見ていて思い出したのは、前述の「イメージ!キン◯マ」と僕にアドバイス頂いた、元チャンプが監修したボクシング入門書に書いてた事で、それは「ボクシングに求められるのは、強いパンチ力と同時にパワーを落とさない持久力であり、メンタル面では、闘争心と同時に相手をよく見る冷静さである。つまり相反する条件を満たすという高度なものなのだ」という解説で、今月の試合における亀田選手は、その条件を満たしている、とても優れた選手に見えました。

 来年もまた引き続き、ボクシング界は奇妙に盛り上がっていくのか分かりませんけれども、もし仮に、亀田選手が防衛戦でKO負けに屈した場合、一気にファンの熱も冷めてしまう様な気もいたします。というのは、ボクシングのKO負けについて詳しく述べると、パンチをもらい脳振盪を起こすなど、神経がダメージを受けて倒れる訳で、その倒れる姿はカッコ良さとかは全く無くて、はかない様な、あっけない様な、何だか情けなく哀れな感じで、自分の応援する選手がそうなると、見ていてホントにツラいものがある訳で、亀田選手のファンが果たしてそれに耐えられるのかという気がするからです。

 以前僕が応援していた(無名ですが)日本ランカーの選手がいて、その選手はガラス拭きとかビル清掃の仕事で生計を立てつつ、世界チャンプを目指し続けていたのですが、しかし実力は評価されながらも、日本王座も勝ち取れないまま月日は経って、とうとう「負ければ引退」と覚悟しリングに上がる事になり、だけど試合は劣勢に進んでしまい、ついに最終ラウンドで、足がややガクガクしたり、腹を打たれうずくまりかけたりし、結局フックをもらって腰からストンと落ちる様に、ぶっ倒れてしまったのですが、その時のその選手の姿に、チャンプという希望が現実に敗れ去り、砕け散るイメージが重なって、見ていた僕も一緒になって、打ちのめされてしまったのでした。

 ボクシングという真剣勝負には、リアルな容赦の無さという一面が確かにあると思います。そして選手が負ければファンも一緒になって、打ちのめされてしまいます。けれどもまたそういう意味で、ボクシングを見る事には、怖いものみたさに似た要素が含まれているとも言えまして、僕の場合、亀田選手に関しては、「亀田VSリアル」という風に、これから見ていこうかと考えております。