2007 5 日雇い派遣のこと

 先日飲んで終電に乗り損ね、始発まで一眠りして待とうと駅近くにあったネットカフェへ行き、そこの個室に入ったのですが、その日たまたま大荷物で、狭い個室が余計狭苦しく感じられ、またイスに座って窮屈に体を折り曲げた状態だったので、結局あまり眠れないまま明け方そのカフェを後にして、ふと思ったのは大荷物で一泊したし、自分が住所不定でネットカフェを泊まり歩く、いわゆるネットカフェ難民じゃないかと、店員や他の客に思われたのではという事でして、まあ思われても別に構わないのですけれども、そう思われたかも知れないというついでに、ネット難民の暮らしをちょっと想像し、あの人達はきっと快適な安眠なんか全然してないのだろうと考え、そしてネットカフェ難民の多くは、日雇い派遣の仕事で糊口をしのいでいると聞いたのを思い出し、日雇い派遣と言えば僕も昔、ちょうど誰もが携帯を持ち始めた位の頃ですが、派遣で肉体労働の仕事をやっていて、実は三年近くそれで細々生計を立てていた事があり、そのツラい実態を知ってまして、当時の事を思い出したりしましたので、今回はその日雇い派遣について、述べてみようかと思います。

 そういった派遣会社の求人広告によりますと、「自分の好きな時に好きなだけ稼げる」みたいに書かれてますが、実際は会社に登録して仕事の予約を入れたところで、予約した日に仕事が出来るかどうかはその前日にならないと分からないという、つまり「自分の好きな時に、仕事がもしあれば」稼げる訳で、しかも時間帯も短時間の仕事しかないとか深夜の仕事しかないとか言われる事もあり、つまり「自分の好きな時に、仕事がもしあれば、そして時間帯がもしうまく合えば、好きなだけ稼げる」といった次第になり、予約日前日に事務所に電話したら、「明日もう人が埋まっちゃった」と軽く言われる事も結構あり、あるいは逆に、春の引越シーズンやお中元お歳暮の時期などは、休むつもりなのに事務所から電話がかかってきて、「明日人が足んないから頼む」とか言われ、断ると、「今のうち稼いどきなよ」とか言われたり、もし引き受けると、「日勤の後に続けて夜勤の、ダブルで稼がない?」とか言われたりと、要はいいように利用されがちの弱い立場で、給料も交通費は基本出ず、更に事故に備えた保険料という名目で数百円が天引され、時給に換算すると力仕事なのに大した金額では別になくて、またほぼ毎日現場が変わるため、常にバイト初日の様な緊張もあり、共に作業するメンバーも日替わりなため友達も出来ず、そして危険な目に遭う事もなきにしもあらずで、僕の経験で例を挙げれば、解体工事現場で「バイト君のメットねぇや」と言われノーヘルで作業中に、シャベルカーを操ってた業者の人が操作をミスって、僕の頭の数センチ上を、頭の何倍もあるシャベルがグォーッと横切ったり、また廃ビルの廃品撤去作業で、現場に行くとビル内が暗闇だったので、「バイト君電源探して」と言われ真っ暗な中探していて、誰かが見付けたのか明かりが点くと、床に何人もはまれるサイズの、大きい落とし穴の様な、深い地下へと転落する開口部がポッカリと空いていたり、そしてまたある橋の耐震補強工事現場では、橋を周りから囲う様に組まれた足場へ、四つん這い状態で潜りこまされ、強力ボンド類らしき液体とハケを手渡され、「これ目に入ったら失明したりするから気を付けて」と言われ、橋の側面にゴーグルもなしに、その液体を塗らされたり、またその他、恐ろしいウワサとかもあったりして、ある引越業者の連中が、ドンクサいバイト君の一人に腹を立て、作業終了後にそのバイト君をパッキン(段ボール)大に力ずくで押し込み梱包し、周りからパンチキック等を浴びせ、最後に荷台から、そのバイト君というコワレモノ入りのパッキンを蹴り落としたという、まあこれは事実か分かりませんけれども、とにかくそんなウワサもある様な仕事場だったので、今テレビCMでモバイトとか何とか言いながら、おシャレな若者がさわやかな汗をかく様な姿が流れてますが、あんなのはズバリ嘘であり、実際は全く違う訳です。

 かつての自分のバイト君という立場から、日雇い派遣について怒りの筆を進めてきましたが、そんな憤りを抱えながら、なぜ自分は三年近くも続けてしまったのかと言えば、これは現在のネットカフェ難民にも通じるかも知れませんが、日払いの仕事でギリギリ生活をしていると、一般的な月払いの仕事に切り換えるのが困難という、つまり手元にお金が入らない一ヶ月間の暮らしに困るという点が挙げられるのですが、しかし僕も仕事のある月はほぼ毎日働いて、少し貯まったりした事もあったので、やめようと思えば出来なくもなかったはずであり、よくよく振り返ってみましたところ、先に日雇い派遣の欠点をツラツラ考え、悪口を書き連ねましたが、ただもうホントに嫌だったという訳ではなく、むしろそんなに苦に思ってなかったのではという気もし、もちろん楽しかった訳ではないし、今はもう嫌だと思ってますが、当時はヤだなと思いながらも、どこか心地良さに似たものを、感じていた所があった様に思えてきました。

 僕のその心地良さを身もフタもなく言えば、組織に縛られないフリーターの、無責任でいられる気楽さと言えなくもなく、そしてそういった気楽さゆえにフリーター人口は増加を続け、現在社会問題になっているとも聞くし、その他いま世間では、格差とかワーキングプアー、ニュープアーとか、またスタッフの不当な扱いを提訴された派遣会社があったり等の問題が取り上げられてますけれども、それはまた別の機会に考えるとして、それよりもここで考えたいのは、あの頃の心地良さを単なる気楽さと言い切って片付けてしまうのではなくて、いい加減さや無責任さ以外にも、潜んでる何かがあったんじゃないかという事で、その辺りについて考え、身やフタのある言い方で、述べてみたいと思います。

 当時僕は日雇い派遣を始める数ヶ月前に、就職してた会社を辞めていて、職場という場所やそこにおける人間関係等にちょっと疲れていた所があり、また自分がこれから何をしたらいいのかが分からなく、何も考えたくないというか、考えられない状態だったのですが、しかしまだ若かったせいか悲観的にもなってなくて、肉体労働で体を使って汗をかきつつ、自分のこれから先について、ゆっくり考えたいという様な事を、ボンヤリ思っていたのでした。

 日雇い派遣の仕事内容は、搬入、引越、仕分、設営等、色々なものがありましたが、単純肉体労働という、その単純さで共通しており、記憶に残るのは一戸建ての建築現場での、連日の雨で地下にタップリ溜まった水を、スコップですくってバケツに入れ、バケツが一杯になったら外へ流すという作業で、一日中それだけをやるように言われ、両足を水につけて作業して、せっせと動かす体から汗が吹き出し、また作業中はねた水もかぶったりし、でも濡れてもいいやと開き直って続けてるうちに、全身水浸しになってしまい、そのうちなんだか一種のトランス状態に陥り、ビショビショなのは汗のせいか水のせいか分からない感じで、自分が水溜まりと一体になったかの様な感覚が起こり、これこそ“働く”という事の基本じゃないかと、トランスでハッキリしない頭のまま、体を通した思考回路で考え、それはいわゆる汗水垂らして働くとか、流す汗の美しさとか、そういう意味では全くなくて、水溜まりを相手にして、自分の流した汗のしずくが、水溜まりの中にポツポツと落ち、のまれていく様子を見ていると、そういう風にして汗のしずくを黙々と、相手に対して落とす事が、“働く”という事そのものじゃないかと思い、自分は無心にただ汗を流すだけの、カラッポで何者でもないといった存在になり、それにより相手と一体になれたみたいに感じられ、トランス状態でしたけれども、“働く”という事に、それまでにないシンプルさで、触れた様に思えたのでした。

 日雇い派遣の仕事とは、様々な現場に行って単純労働をするという事であり、当時向かった都内での、様々な現場についても述べてみたいと思います。地方出身者である僕は、東京にいる自分はヨソ者で、ヨソ者のまま住んでる様な気が当時していて、ここに住んでるというよりは、ずっと東京の旅をし続けているみたいな感覚がどこかにあり、様々な所に仕事で派遣されて向かう時、まるで旅に向かう様な気分になったりし、もちろん旅といっても観光な訳では当然なく、色んな仕事場を体験する旅で、印象に残る現場を挙げれば、ゆりかもめの開通直後のお台場の辺りで、お台場よりもっと先にある、人けのない海沿いの、廃棄物の処理場らしき所で、そこには草刈りの仕事で行ったのですが、時折風に乗ってものすごい悪臭がただよってきて辟易としたり、また世田谷区の高級住宅街に、区から道路清掃を請け負った業者の、ドブ掃除手伝いの仕事で向かった時、その業者のオジサンがお宅情報にとても詳しく、聞いてもないのに有名人のお宅を次々教えられ、更に「あの空家はこないだ倒産した〇〇会社の元社長の家だ」といったウラ情報まで、ドブを一緒にすくいつつ教えられたり、その他銀座の有名デパートに、展示会設営の仕事で行った時、地下の社員食堂での休憩中に、猫のサイズ位にデカい、丸々と太った一匹のネズミが、壁沿いに床を駆けてくのを目撃したりと、かつて憧れた“東京”のイメージとは違った、“東京”を裏の方から探って、リアルに体験するといった旅で、表面上はキレいで華やかだったりするものでも、その部分だけ見て簡単に判断してはいけない、表層的なものでごまかされちゃいけないと、考えたりしたのでした。

 派遣会社での人間関係についてですが、長く続けていると事務所から、「ベテランさん」みたいな風に呼ばれだし、そして僕と同じ位に長い、他のベテランと事務所で日給をもらう時などに一緒になったり、また現場で一緒になる事もあったりして、ベテラン同士で顔見知りになり、ちょっと親しくなった人もいたのですが、しかし距離感は保ったままの、自分達はハッキリ他人同士という接し方を、お互いにしていた様な気がします。また先述した通りこの仕事は、基本的に単純作業を日々違う現場でやる事ですが、現場の空気は毎回少し違ってたりして、ボーッと動かずにいれば派遣先の人から当然怒られますけれども、逆に動きすぎるとでしゃばるなと怒られたりする事もあり、そういう意味でちゃんとその場の空気を読まなきゃいけなくて、バイト君としてのベストな状態は、その日の作業の流れを早めに的確に推測し、段取りを先読みして効率よく立ち振る舞うという状態で、やる事は創意工夫のいらない単純作業ですが、単純作業をどういう形で行うかという事において、創意工夫が少し必要であり、ちょっと大げさに言い換えれば、自分は単純作業スタッフとしてのみ、そこに存在しているという風に、自分の性格的というか、人格的な部分をちゃんと消す事に慣れるのが大切で、我の強い人には全く不向きの仕事であり、そこで僕が感じたのは、また大げさな言い方ですが、こういう風にして仕事場で、自分個人に関心が持たれていないのと同じ様に、もしかしたらそれ以上に、社会という世の中では、自分は関心が持たれないだろうという事で、それは在り来たりな言葉で述べれば、自分はチッポケな存在といった事かも知れませんが、誰でも我の強い弱いにかかわらず、自分中心に世界が回るとか、世界の中心で愛をナントカ言うのとかは、勘違いなはずであり、世界から関心を持たれていないというのが、自分という存在の、基本的な在り方である様な気がしたのです。そういう自分の在り方を考えながら、日雇い派遣を通じて会った色んな人は、シガラミなしの他人だとの認識で、人間関係上で普通はつかざるを得ない嘘も、ここでは言う必要が別になく、作業が終わればお互い無関係といった、ドライなサッパリ感みたいなものがありました。人とサッパリとした距離感を取り、旅する気分で仕事場へ行き、無心にただ働くという事に、当時心地良さを感じたんじゃないかと思われ、つまり、自分は何者でもないという事による、充実感だったと言えるのかも知れません。

 最後に当時親しくなったベテラン派遣スタッフの、ちょっと変わったバンドマンの人の話をします。休憩中に何人かで一服しつつ喋っていて、楽で稼げるバイトはどこかにないかとか、パチプロになりたいとかいった種類の無駄話を主にしてたのですが、彼が誰かに、「でもバンドやって夢があっていいスね」みたいな事を言われた時、「もし成功してもそのために苦労してるし、多分嬉しくない」とか、「一回売れても売れ続けるか分かんない」など、冷めた答えばかり言っていたのですが、安易に語られがちな“夢”というのは、この世の中には無いんだと、彼が言ってた様にも思われました。僕は日雇い派遣をやる事を通じて、自分という存在の基本は何者でもなく、世界からは関心を持たれず、そしてその世界というものは、表面上では判断出来なく、また夢のない場所であるといった、ドライ過ぎるとも言われそうですが、そういう考えを持つに至ったのです。“夢”のないそのバンドマンが、今もバンドを続けてるかは知りませんし、もう辞めたんじゃないかとも思いますが、安易な“夢”などないと知りつつ、まだ挑戦し続けているのなら、かつて同じ立場から、世の中をドライに考えて、同じ単純作業に汗をかいた仲な訳だし、応援したいという気持ちになります。でもまあ彼の名前も忘れていて、顔もボンヤリしてしまってるのですが。