2011 12 脱原発のこと

原発推進か原発反対かと聞かれたら、僕は反対と答えますが、それは個人的な意見というよりも、事故が起きてから数ヶ月間、様々な原発関連の報道を見ているうちに、これは誰もが反対だと思わざるを得ないだろう、脱原発の世論がきっと高まる、そういう風に感じたので、当然のように反対だと思い始めた訳ですけれども、今現在、そんな世論が高まっているとは特に感じられず、「原発依存のエネルギー政策を見直そう」といった、曖昧な所に意見が落ち着いたように感じられます。僕は、原発は無くしていくに決まってると思っていたので、その曖昧さがよく理解できません。

 しかし僕も反対する立場の人の意見ばかり聞き、推進する人達の意見をほとんど聞いて来なかったので、なぜ推進するのかという理由について調べてみました。中東情勢が不安定なのに、火力発電を軸に戻すとコストがかかるとか、核武装の技術や除染の技術を保ち続けるためにも必要だとか、日本は世界最先端の研究をしていて、更に今回の事故で多くの事を学んだので、より安全な原子炉ができる可能性があるなどの、色んな理由がありました。原子力発電は核の平和利用であり、世界一安全な原発を作る事は、世界に対する日本の責務だという意見もあり、それには説得力を感じました。しかしだからといって、事故が起きたら取り返しがつかないから怖い、放射性物質は恐ろしい、そういった気持ちはやはり消えないし、事故の影響で故郷を追われたりした人々の事を、無視した発言のようにも感じたので、推進に賛同する事はできませんでした。

 僕は「放射能」に関する知識を、事故以前はいい加減にしか持ってなくて、水素爆発の報道を見た時、大変な事態らしいとは分かりましたが、放射能の何がどう有害なのか、はっきり分かっていませんでした。でもそれによって、不安に拍車が掛かっていたと言えます。テレビにかじりつき、「ただちに影響が出るレベルではない」等の発表で、一応の安心を得た訳ですが、この時僕は不安を解消したくて、安心できそうな情報をすぐに鵜呑みにしたように思います。そして東京から避難する人を大げさだと思ったり、メガネ、マスク、手袋等を付けた、放射線対策をした人を外で見掛けたら、冷ややかに見たりしました。けれども「ただちに影響が出ない」とは、心配する必要はないという意味では結局なかったし、事故の規模が更に拡大した場合、東京にも避難指示が出される事態もあり得たというのを後で知り、新たに衝撃を受けました。こんな一大事に、国が嘘をつくはずないと思ってましたが、本当の事を発表していなかったし、放射線対策を大げさだと思った僕の方こそ、冷ややかに見られるべきだったという事態が、あっておかしくなかったのです。

 これから私達は変わらなければいけない、という意見を時々耳にします。その意見に僕は賛同で、僕の場合は第一に、情報をすぐに鵜呑みにしてしまった点を改めようと考えました。だけど更に具体的に、どう変わっていくのかと考えた時、うまく考えがまとまりません。一つ取ってみた行動として、僕はデモに参加した経験はないのですが、今回は脱原発デモに参加するべきかもしれないと思い、一度その現場へ行きました。しかしすぐに疲れたような、冷めたような気分になって、参加せずに帰ってしまいました。労働組合等色んな団体の旗が、所狭しと掲げられている異様な光景、東電や政府の悪口の書かれたプラカードやビラ、また人々が警察官に誘導されている事などに違和感を覚えてしまったからです。帰るべきではなかったのかもしれませんが、帰りたくなってしまったものは、仕方ありませんでした。

 原発を将来どうしていくのかという問題から、少し話は逸れますが、今回の事故関連の報道の中で、一つ強く印象に残った話がありました。それは強制避難させられた住民の暮らす避難所に、東電の社長が謝罪に来た時の事で、非難や怒りの声を浴びながら、土下座している社長に対し、ある年配の方が、「まあ、お互い様だよ、お互い様」と笑顔で声を掛けたという話で、どういうつもりで声を掛けたのかは分からないし、「お互い様」の訳はないのですけれども、少なくとも言えるのは、自分に起こった出来事や、置かれている状況を、少し距離を置いて、引いた目で見ていなければ、そんな発言はできないという事です。僕は自分がこれからどう変わるべきかについて、まだよく分からないので考え続けるしかありませんが、この年配の方の態度から、まず一つ学びたいと思います。