2014 1 原発継続について

 先月に政府は、新しい「エネルギー基本計画」の原案で、民主党政権時の「2030年代原発ゼロ」の目標を撤回して、原発を「重要なベース電源」と位置付けて活用していく方針を打ち出しました。この計画の表明が、どれ程の意味を持つのか分かりませんが、僕は「将来的に原発を無くす」が、日本の方向性だと思ってきていて、正直最近は原発について、特に何も考えていなかったのですが、知らない間に、驚くほど簡単に、今回大切な問題の方向性が、変えられてしまったような気がして、けれども明らかに以前よりも、世間に反対の声は上がっていないようにも思え、それに関しても不思議に感じ、もう一度原発について考えないと、何かを見失いそうな気になったので、本やニュースサイトなどを参考に、問題を整理して書きながら、考えたいと思います。

 原発賛成派を代表する意見を、以下のようにまとめました。
●原発は高効率で大規模な発電システムであり、エネルギーの安定供給に役立つ。
●化石燃料と違って輸入への依存度が小さく、安価である。もし火力発電に頼れば、家計に負担がかからざるを得ない。

 これらの意見に後押しされ、更に安倍政権下の景気の上向き感もあって、「原発を止めずに景気を良くしよう」という風潮が、現在生まれているのかもしれません。一方、反対派の意見としては、以前から以下の事が強く述べられていました。
●原発を止めて、その施設が不良資産になってしまったら、電力会社が赤字になる。

 補足すれば、原発推進は利権のためであり、本当は原発を稼働しなくても、火力と水力発電、省エネ家電の開発と普及、そして代替エネルギー(太陽光、風力、シェールガスなど)で、将来電気はまかなえていける、というものです。

 原発を止めて本当に電気が持つのか、また逆に、原発は本当にローコストと言えるのか等の見解は、専門家の中でも違っていて、判断に困るところです。

 賛成派の意見を更に挙げてみます。
●日本は世界最先端の研究をしている。廃止すれば長年の努力が水の泡になる。
●福島第一原発事故において、発電施設の心臓部が直接ダメージを負った訳では当初なく、津波による非常発電施設へのダメージがもとの原因。事故から学んで改良すれば、より安全な原子炉ができる。

 少し長くなりますが、こういったものもありました。
●「人類が進歩することによって文明を築いてきた」という近代の考え方からすれば、原子力は人類が積み上げてきた科学の成果である。文明の発達というのは常に危険との共存で、例えば自動車や飛行機が事故を起こしても無くならないように、ある技術があって、そのために損害が出たからといって廃止するのは、人間が今日まで行ってきた営みを否定するものである。科学技術や知識というものはいったん手に入れたら元に押し戻すことはできない。たとえ事故を起こしても、一度獲得した技術を高めてゆくことが発展のあり方で、完璧に近いほどの防御策を改めて考えるしかない。

 最近のもので「文明の発達」として連想するのはインターネットです。子供の頃、こんな便利なものが将来現われるとは想像だにしませんでした。じつは僕は、コミュニケーション・ツール(ツイッターやフェイスブックなど)で「脱原発」のメッセージを広める行為というものに、少し違和感を感じていたのですが、それはおそらく、原発も〈文明の利器〉には違いないので、インターネットという〈文明の利器〉が、〈文明の利器・原発〉を否定する事に、矛盾のようなものを感じていたからだと思います。

 次に、賛成や反対は全く関係なく書かれた本から、引用したいと思います。(「放射能の基礎知識」という科学の入門書です)
●原子炉の事故はあってはならないものですが、人間がつくった機械、装置で、故障のないものはありえません。

 この文章は、前半の「原子炉の事故はあってはならない」を強調するなら反対派の立場のものとなり、「人間がつくった機械、装置で、故障のないものはない」を強調すれば、技術を高めて発展させようという内容にも取れなくもありません。〈文明の利器〉はリスクと共存しているからです。更に引用します。

●被害を受けた原子力発電所は、ほかの被災施設とは根本的に違っていました。原子力発電所は被害を受けたそのとたんに、被害者から加害者に立場を変えたのです。
●原子炉の事故の怖さは、その被害が普通の事故とは比較にならないほど大きいことです。被害は事故を起こした機材にとどまりません。放射性物質の飛散による二次被害があります。そして、この二次被害の方がはるかに影響が大きいのです。

 引用して挙げるまでもなく、日本人なら誰もが知っている事実でありますが、改めて考えれば、原発が共存しているリスクは甚大である事を思い知らされます。この〈文明の利器〉だけは、例外的に取り扱うべきではないか、そういった思いを事故の後に多くの人が強く抱き、その影響もあって、「原発ゼロ」の目標も生まれたはずだったと思います。

 いまなぜ原発継続という方向に世の中が流れたのか、段々と事故の記憶が薄れてきて、人々の日常生活のなかに楽観性のようなものが生まれているのか、あるいは、先に書いた「近代の考え方」に沿うような、「科学技術はいったん手に入れたら元に押し戻すことはできない」、つまり、もしそれを好まない人間がいたとしても、進化には抗えないという事なのか、その理由はよく分かりません。原発は賛成か反対かと言う前に、まず、そこのところを見定めていこうと思います。