アンドレ・マルロー・ライブ

 僕は十代の頃にテレビで、再放送されていたドラマ『傷だらけの天使』や、映画『夜汽車』等でショーケンを観て、「独特の演技がスゴイ! 表情と声が素敵!」と思って好きになりました。
いま、YouTubeのショーケンの動画には、コメントで「本物のアーティスト」「アウトローの生き様」「男が惚れる」など、多数の賛辞が熱烈なファンからおくられています。
なので僕もあらためて、ショーケンの魅力について考えてみたくなったので、個人的にいちばん素敵だと思っている(俳優ではなく歌手活動ですが)35歳の時のライブ映像『萩原健一 ’85 アンドレ・マルロー・ライブ』でのショーケン、あるいはそのライブ全体について、自分なりに述べてみたいと思います。

 ショーケンは歌唱するとき、格好良い衣裳(たとえば赤いシャツに銀色のネクタイ、ソフト帽にサングラスとか)を着て、あるムード(たとえばエモーショナルとか、メロウな雰囲気とか)に浸りこむにして歌うことが多いかと思うのですが、このアンドレ・マルロー・ライブでは、上着は黒のランニングシャツのみ、帽子やグラサン等は無しという、ビシッと決めない身軽な格好をしていて、歌い方は、歌詞の意味を大事にしながらムードを醸しだすといったやり方ではなく、観客に対してオープンな身体でステージ上に立ち、歌詞の言葉を直接的に客席へ投げるような、開放感のある歌い方です。
そしてとくに印象的なのは、観客に向かって、また演奏しているバンドのメンバーと絡みながら、あるいはひとり自分の想いを嚙みしめるようにして、笑顔をよく見せるということです。

 ショーケンみずからが著者の自伝『ショーケン』のなかで、当時の音楽活動は次のように語られています。
たぶん、ロックシンガーとして最も声量があり、一番パワーのある時期じゃなかっただろうか
おれは、新しくバンドをつくった。(中略)名前はアンドレ・マルロー・バンド。昔馴染みのイノやん、速水、明男ちゃんに、ゴダイゴのミッキーが加わったことで、いままでにないパワーと魅力のあるバンドとなった
あの夏の夜(撮影されたライブのあった夜:引用者注)、アンドレ・マルロー・バンドは天井を抜けた。突き破った。百点満点を超えた
ショーケン自身、たしかな手ごたえを感じていたことが分かります。
ライブのことと話はすこし逸れますが、この自伝のなかでショーケンが、しばしば吐露している心情があります。たとえば、テンプターズ時代の衣裳については、
変なアップリケの付いたヒラヒラのユニフォーム着せられちゃってさ。アレには参った。もう、こっ恥ずかしくてさあ、イヤだったな。すっごくイヤだった。ホンットにイヤだった
と語り、また『太陽にほえろ!』のオファーが来たときは、タイトルに田舎臭さを感じ、
こんなの、出たかねえや!
と思ったそうで、(しかし結局出ることになり)それから撮影中は、
このまま同じことばかりやってたんじゃ、おれはダメになっちまう。成長できねえ
という思いが、日に日にふくらんだと語っています。
おそらくショーケンという人は、譲りたくない自分の美意識や信念(潔癖性)があり、自分のセンスというものに、強くこだわりたい人なのだろうと思います。なので表現の場において、ありきたりで通俗的な枠組みを押し付けられることに反発したり、私生活において、世間の常識的なルールと折り合えない時があったりしたのかもしれません。

 ライブに話をもどしますと、85年の8月に(場所はよみうりランドにあった野外ステージで)おこなわれています。その一昨年の83年に大麻不法所持で逮捕され、前年84年にはいしだあゆみと離婚をしていますが、自伝のなかでショーケンは、この時期に人生のどん底、地獄を見たと語っています。
アンドレ・マルロー・バンドはこのライブで、本当に楽しそうにパフォーマンスしていますが、僕はあらためてこの映像を観ているうちに、ショーケンはきっとこのステージで、自分の好きなロックを、信頼できるメンバーと一緒に、自分を見捨てず待っててくれた観客の前でライブすることで、地獄からの生還をはたそうとしているんじゃないか、そんな気がしてきました。
客席もかなり沸きたってますが、ステージの上で生き生きと楽しそうに、生き直しているショーケンの、その笑顔をみるために、観客は集まって盛りあがっているんじゃないか、そういう風にも思えてきました。
観客(僕)がいちばん見たかったのは、ステージに立った、ショーケンの笑顔です。