青春の蹉跌

1974年 監督:神代辰巳

 主演の萩原健一は、終戦直後に生まれた世代、いわゆる団塊の世代を代表する俳優の一人であり、僕の一回り上位の世代の人が若者の時代に、アイドルとして、あるいはアニキ的な存在として、絶大な人気を誇ったそうです。
僕は中学の頃とんねるずのラジオ番組をよく聞いていたのですが、その中で貴明がショーケンにまつわるエピソードを、テンション高めに語ったりしていて、ショーケン(そう呼ばれてる萩原健一)って誰だろう?と思っていたところ、テレビで夕方四時から再放送していた『傷だらけの天使』をたまたま見て、主人公の修を演じるショーケンを知り、その演技を見て僕もテンションが上がり、それ以来ファンになりました。
家にはまだビデオデッキがなく録画が出来なかったので、夕方の再放送でショーケン主演の昔のドラマがある際には、部活、運動会や文化祭の練習、クラスメートとの付き合い等の放課後の用事を、病院に行くとか家の手伝いがあるとか、色んな嘘をついて出来る限りすっぽかし、帰ってテレビにかじりついた思い出があります。

 ショーケンにまつわる僕の個人的な話をもう一つすれば、僕が25歳位の頃に建設現場でバイトをした時に、ショーケンと共演した経験があるという、自称アクション俳優の方(40歳位の人でした)と一緒に働いた事があり、いい機会なので共演した感想を尋ねたところ、
ショーケン主演のアクション系二時間ドラマに、その方はギャングの一員という端役で出演したそうで、倉庫でドンパチみたいなシーンで出番があり、撮影での段取りは、その方は拳銃を手に物影に隠れていて、息を潜めつつ表の様子を探り、狙い撃つべきショーケンの姿を認め、物影からにじり出て、すばやく近くの柱の裏に移動し、そこでゆっくりと拳銃を構え、そのまま半回転する感じで柱の横に出て、ショーケンに向かってぶっ放そうとする、と、ショーケンがその方にいち早く気付き発砲し、その方は撃たれて倒れる、という流れだったそうで、撮影を前に殺陣師の指導を受けたり監督と打ち合わせをしたりして、準備万全にリハーサルに臨み、段取りの通り丁寧に動いていたところ、リハを見ていたショーケンに、
「テメェ里見浩太郎じゃねぇんだからパッと出て来い!パッと!」と怒鳴られ、結局その方は物影からパッと飛び出す事になり、そして出るやいなやショーケンに撃たれるという風に、変更されてしまったそうです。
「出番も全然減っちゃうし……監督よりもエラいんだもん。参っちゃうよ、萩原さん……」との、愚痴を交じえて答えていただきました。

 ショーケンが共演者にキツく当たったという話は週刊誌でも読んだ事がありますし、また私生活でトラブルが多めでありますので、あまり良くないイメージを抱いている人も少なくないと思われます。
そんな方には是非ショーケン主演の映画等を、見た事なければ見てほしく、見たけれども好きになれないという方には、ショーケンは音楽活動もやっていたので、昔のライブ映像を是非見てほしいと思うのです。
僕が考えるにショーケンとは、強い表現欲を源にしたエネルギーが充満した人で、ライブで歌う姿には、そのショーケン的エネルギーが高まって弾けるような印象を受けます。「歌を炸裂させる」とでも言うような歌いっぷりで、僕はそういう風にして歌う人を、ショーケン以外に知りません。

 前置きが長くなりましたが、映画『青春の蹉跌』について述べます。
ショーケンは法学部の大学生を演じていて、司法試験を突破するほど優秀で、卒業後は資産家の伯父(学費を援助してもらっています)のもとで働くという進路を確保しつつも、金持ちという権力者に尻尾を振る真似が嫌なのか、あるいは将来の道を決めつけられる事が嫌なのか、気がどこか苛立ったり倦んだりしているような若者で、
「ショーケンはエネルギーが充満している」と先程述べましたが、この映画の場合、エネルギーを放出させずに溜め込んで、自分の中で持て余すという独特のやり方で、主人公の鬱屈を表現しているように思われます。

 ただもちろん僕が『青春の蹉跌』が好きなのは、ショーケンファンだからという理由だけではなく、作品に魅力もあるからで、映画を見直して改めて確認したのは、画面の中に憂鬱や気だるさを帯びた空気が常にドンヨリ流れており、例えばショーケンと桃井かおりが、その空気に漂いながら、何を言ってるのか聞き取れない程ボソボソ小声で喋ったり、あるいは突然大声を出して、意味不明な行動(おんぶ等)を取りつつはしゃぎ回ったり等の、フラフラしている若者たちを、撮る側も一緒になってフラフラしながら、撮影しているかのような、おそらく七十年代の邦画でしか見られないであろうシーンが、連続して展開している事です。
若者はフラフラとしながら、上昇するのではなく堕ちていく感じで、堕ちる事から逃れるには、自分を捨てたり権力に媚びたりしなければならず、しかしその事を自覚しつつも、フラフラせずにはいられないという様を、この映画は描いているような気がします。
フラフラする事は、自分が何者かになるのを拒否する行為ですが、永遠にフラフラするのは不可能という意味で、フラフラには刹那的な、快感や心地良さがあると思われ、僕がこの映画に引かれる一番の理由は、このフラフラににあると思い至りました。
『青春の蹉跌』はショーケンら出演者と、ショーケンが敬愛する神代辰巳監督らスタッフの、フラフラを結晶させた名作であります。